令和6年8月28日

大和医院

輪島市

 大和医院は、石川県輪島市門前町道下(とうげ)地区にある、一般内科・精神科の診療所です。門前町は、2007年の能登半島地震でも家屋倒壊など大きな被害を受けた地域です。2024年1月に起きた二度目の震災では、輪島の市街地と門前を行き来するトンネルが崩落。道路が寸断され、集落が孤立する事態に見舞われました。
 院長である大和先生は、医師としての無力さを時折感じながらも、元旦から医療活動に従事し続けたといいます。門前町に2つしかない医院の一つとして、震災当時の状況や高齢化が進む地域における課題について、お話を伺いました。
大和 太郎
医療法人 青雲会 大和医院 理事長 院長

被災して車が通行できない道路を、歩いて往診に向かった

─地震発生当時の様子について教えてください。

 正月、家族で居間にいたときに緊急地震速報が鳴り響きました。門前町では一度目の揺れはそれほど大きくなかったのですが、しばらくして震度7の本震に見舞われました。あまりの激しさで、命の危険を感じるほどの揺れでした。揺れがおさまってからは津波警報が出たので、高台に避難しました。
 津波の危険が落ち着いた頃から携帯電話が鳴り出し、色々なところから「こっちに来てくれ」という電話がたくさんありました。
 最初は地震のあと、家の下敷きになった方などを診に行きました。その後、近くの避難所などを回りましたが、胸部の外傷で呼吸状態が悪い方や、大腿骨骨折など、骨折や怪我の方が多かったです。顔の皮膚がちぎれて垂れ下がっている悲惨な状態の方もいました。
 普段であれば救急車で大きな病院に行ってもらうような状態の方が多い中、救急車も動かず、できる処置も本当に限られていたので、何もできず無力な状況でしたね。
 当院の近所では、5人の方が家屋倒壊に巻き込まれ命を落とされました。門前町全体では、他に10名の方が命を落とされています。検死に立ち会いましたが、かかりつけの患者さん、同級生、知り合いの方などで、とてもつらい思いをしました。

─今回の震災では、門前町自体が一時的に孤立状態になったと伺っています。そういった状況が応急手当てにも影響したのでしょうか。

 ジープで往診に出かけたのですが、道路に乗り越えられないほどの段差や亀裂がいくつもあって、車で走ることができない状況でした。途中から歩かないと行けないような現場も多く、結構な距離を歩きましたね。
 門前町は道路が寸断されていたので、翌日の自衛隊ヘリによる搬送が始まるまで、各々が苦しみに耐え、じっと救助を待つしかありませんでした。私は「助けが来るまで頑張りましょう」と声をかけることしか出来ず、医師として無力さを痛感しました。

二度の大地震に見舞われた門前町で、できる限りのことをやろうと思った

─門前町は2007年に続き、二度目の被災ですよね。前回はどのような状況でしたか。

 当時、僕は金沢にいて。地震が起きた日は日曜だったので出掛けていたのですが、テレビを見て慌てて帰りました。その時は道路も何とか車が走れる状況だったので、DMATも当日の午後には入られたんです。
 それなりに活動はしたのですが、「もう少し何かやれたのに、できなかったな」という反省がありました。今回の地震では門前町にいたので、できる限りのことをやろうと思いました。

─医院自体の被害はどうでしたか。

 医院や住居の被害はありましたが、診療や生活はできていました。外来診療を行うには、雨漏りが一番の問題でしたね。幸い、壊れたのは割れたモニター1個だけで、電気が通ったら他の検査機器は全部使うことができたので、それはもう本当に助かりました。

─診療を再開されたのはいつ頃だったのでしょうか。

 1日からずっと、何かしらの医療活動を行っていました。電気が通ったのは5日頃だったと思います。その頃には外来もそれなりにできるようになっていたのですが、それまでは隣の薬局を開けてもらい、薬を持たずに避難した方への処方などを行っていました。
 お薬手帳もなく、飲んでいる薬が分からないという方もいらっしゃったので、その点は電気が使えない場合に向けて準備しておけばよかったかなと思います。

震災後は感染症対策、仮説住宅では精神的ケアが課題に

〜その後、1月はどのような状態でしたか。

 1週間ぐらいしてから、各避難所でコロナやインフルエンザ、感染性胃腸炎、溶連菌感染症などの感染症が流行りだしました。どこの避難所に行っても、同じように大変な状況になっていましたね。
 最初外来では、外傷や体調不良の方、薬のなくなった方などが多く来られていましたので、発熱者は隔離のため別の部屋で待機してもらっていたのですが、コロナやインフルエンザの方がどんどん増えてしまい、そんなこともできないぐらいになってきて、分ける余裕もなく診療するしかありませんでした。とても辛い状況でした。

─診療を受ける患者さんにはどのような変化がありましたか。

 2月以降は遠くに避難されている方が多かったので、集落にいる患者さんは少なかったです。水が出るようになったのが3月20日で、4月に入って少しずつ患者さんが増えてきました。
 7月には仮設住宅ができたこともあり、多くの方が帰って来られて、とても賑やかになっていました。その前は表情も暗く、「これからどうしよう」という方が非常に多かったですね。
 今もそういう方もおられますし、1日中ずっと仮設住宅で過ごすという方もいらっしゃいます。無力感というか、やる気が出ないというか、まだ精神的に元気になられていない方が多い印象です。避難所や施設で不安や不穏になる方もいらっしゃるので、そういった点でのケアにも対応しています。

─医師会に入っていてよかった、と感じることはありましたか。

 DMAT、JMAT、DPADをはじめとするたくさんの方々にお世話になりました。医師会員であったからこそ、手厚く支援していただけたと思っています。たくさんの先生に来ていただき、避難所を回って色々な支援をしていただいて本当に助かりました。
 ただ、お互いに気を遣って遠慮している部分もあったように感じます。例えば、救急搬送が必要なぐらい具合の悪い方がいる場合でも、「どうすれば良いですか」と連絡をくださったりして。こんなことを言うのも失礼ですけれど、実務でかなり忙しかったので、自身でどんどん判断をして対応してほしいと思ったこともありました。
 反面、僕も支援に来てくださった方にどこまでお願いしていいか分からなかった部分もあったと思います。そんな中、「医師会費を払っているのだから、遠慮せずに私たちを使ってください」と言ってくださる先生もおられました。

この街に長く安心して住める、生活基盤の再構築が必要

─この先、診療を続けていく上で、地域に必要なことは何だと思いますか。

 門前町における65歳以上の高齢化率は65%ぐらい、60歳以上だと70%を超えています。この辺では6割以上の家が倒壊して、後継者が帰って来ないという方も多いです。とりあえず仮設住宅には帰ってきたけれど、これからどうしようかという方が非常に多いですね。
 年齢的にも、もう一度家を建てられる方は少ないと思うので、何かしら長く住める住宅が必要になってくると思います。
 それから、町に唯一あったスーパーが震災の影響で潰れてしまい、再建の見通しがないみたいで。ドラッグストアはあるのですが、それだけでは住んでいる人の栄養は賄えないと思います。ちゃんと買い物ができるスーパーができて、生活の基盤ができないと、帰って来られないです。
 当院としては、もう一軒ある瀬戸医院さんと力を合わせて、門前町の医療を支えていきたいと思っています。安心して住めること、それが大事だと思います。

医療関係者へメッセージ

「顔を見に行くこと」は、かかりつけ医の大事な役割

 地震の後、孤立した集落や避難所を回りました。発災直後は、重症者がいてもほとんど何もできないこともありましたが、最近になって「あのとき来てくれて、心強かった、ありがたかった」と言われ、やはり患者さんのところに行くことは大事だなと感じました。
 個人としてできることは限られていますが、かかりつけの患者さんは顔を見に行くだけでも安心してくださいます。そういったことも、かかりつけ医としての大事な役割だと思います。





石川県医師会災害対策本部/JMAT調整本部





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